炭坑記録画の数々
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むかしヤマの人びと4(マイト孔くり)
昭和33~38年頃

むかしヤマの人びと マイト孔くり

 鑿はチクサ鋼五分八角で、堅頁用は六分八角。あなくり石刀使いは断層頁岩切抜か掘進延先の磐打か、それ以外には滅多に使わぬから、採炭夫は道具も持たず又必要もなかった。何分ヤマの作業中、石刀を一人前に使うには相当の熟練がいる(耳掻きキューレン)。
 S坑には伊予の銅山で生長した金山坑夫が数名おり、一部住宅を金山と称していた。この人たちは断層切ぬきなどやっていたが、巧者な仕事振りであった。ノミも自分で焼直す腕前であり、又行状も良く当時でも互助組合を作り、同僚の友愛親和に努めていた。従ってヤマも平和であった。
 ノミ先は一の字とハマグリ形とある。
 ~いよの銅山かねふく音は
  きこえますばな松山に ドッコイ ドッコイ~

*キューレン 発破孔を手刳するとき、刳った粉を掻き出すもの。一方は耳かき、一方は尖っている。

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