炭坑記録画の数々
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ヤマの子供(4)(ドジョウ取りと魚釣り)
昭和33~38年頃
ヤマの子供
「おかあさん、鍋をよういと川に行く」「ギゥギゥがかかると嬉し又悲し」。学校から帰りて勉強など全然しない。夏季には本包みと弁当がらをかなぐり捨てると、いち早くドジョウショ(ウ)ケと手桶(テコガイ)を持ってとび出る。水の少しでもある処には必ず魚がおる。母が鍋をかけて待っていてもよかった。一方釣も嘉麻川まで出張する。K坑より約八百メートル。川にはカマズコ(スナイモリ)が多い。ハエ、ハゼ、フナ、エビなどかかる事もある。ギゥギゥがかかると(よくかゝる)悲喜コモゴモで、第一取除けるのに手を刺され針を深く呑んでいるので五重の損害であった。豆釣師は之を虎魚と言うていた。黄色めいていて黒の斑らがあり、三本の鋭針で刺されるからで、又、カマズコも海魚のカナガシラによく似ており、砂色に小粒の黒点があり、永さ十五センチ、十センチ位あった。此魚の多い嘉麻川も明治四十一年から改修工事があって、大正二年には一本杵堰まで完成し、大正七年には稲築のシラカド堰まで完成した(飯塚から約六キロ)。当時、鮎もおった。其後上流の各ヤマが洗炭機を使用始めて清流が黒水化、川魚は全滅、汚れの川と改変し殺風景となった。
飯塚より上流約三キロ、一本杵堰はよくかかる処であった。スベてコッポン釣。
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