炭坑記録画の数々
ヤマの訪問者

ノゾキ
昭和39~42年頃

 明治三十二、三年頃、ヤマの訪問者。ノゾキ、料金は大人二銭、小人一銭。ヤマの公休日は月に一回の交換日(サンニョウ日:給料日)であった。当日をアテこんで、ヤマの訪問者が押しかけて来るその中で、ノゾキが一番派手であった。大型のノゾキは夫婦づれで共演する。小型の一人弁士は、平日でも来訪していた。ノゾキは硝子レンズ丸径60㍉くらいが10個以上ズレ違いにつけてある。
 看板叩きという説明者は、長さ九〇センチくらいの細竹で、上板棚を割れぬばかりに叩き踊るような姿勢で調子つけ、浪曲と一ツトセ節(数え唄)をチャンポンしたようなフシで唄う。歌の切目にチョイト、チョボ、チョボ、チョボ、チョイト、チョボ囃したて、大衆の歓心を煽りたてる。
看板絵は色彩濃厚に描いてあり、美しく人目をひきつける。中絵は幾分粗末だが、障子など薄紙を貼って背後の光線を利用していた。これを十五、または二十枚くらい取り替える。ノゾキの画は新旧の劇ものもあり、当時の突発事件が多かった。ヤマの人は殺伐な画面を好んでいたことはもちろんであった。
 (ノゾキの)この事件は、明治十二年六月二十七日(下相州)神奈川県大住郡真土村で起こった集団殺人である。強欲鬼戸長・松木長右エ門一家七人を皆殺して放火。首謀者は村民・冠弥右エ門外二十四人。駆けつけた消防手(消防する人)に火を消すなと頼む場面があって、ヤマ人に大ウケであった。
 蛇足 ノゾキは神祀祭礼にはつきものであって、ヤマ以外が多かった。

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