炭坑記録画の数々
その他ヤマの仕事

切羽貰い
昭和40年4月

昔のヤマ人    キリハ  モライと怠け者スカブラ
短い坑内着、和手拭いで鉢巻。草鞋ワラジはき、カンテラ、肩にはツルバシ一丁担いで切羽貰い。こんな姿を明治時代中以下のヤマによく見る事があった。主として直轄チョクカツ坑夫であったが小ヤマの大納屋には人繰などおらぬから自分が直接もらいにさがっていた。周旋人名儀の納屋頭領で自ら入坑して切羽のアツセンなどする 真自目な者はすくなかった。坑夫の中(ウチ)に仕事の上手な者は悪条件の切羽からでも相当の出炭をするが生来下手は好条件の切羽でも余り能率をあげえぬ。従って切羽もらいも多くなる 炭が掘れないからスカブラになる仕事嫌い。ノソンもよくする(入坑して作業せずあがる)この種の坑夫は人事係(トリシマリ)がヤッキで繰込むのにノソンするから何故有付けずに昇坑させるかと坑内小頭に抗議する、小頭は入坑して仕事せぬ者を追いさげるなどイサカイが絶えない。

頭領さん よか。きりは一ツくんない。豊前おくれ。

ササベヤ

ほうきで叩きたおすやうな。きりははないぞ。

 次の記録画>>

1|2345678910| 次の10件>>

1/13