炭坑記録画の数々
その他ヤマの仕事

募集坑夫と方言
昭和39年12月

募集坑夫と方言 
明治二十七年に開坑(シバハグリ)したK坑は人手不足で広島県から多く募集した、一期半期の出稼でなく、或る期間おって一旗あげる決意の人達で米の飯には菜はいらぬ、五厘の銭でも割って使う程の困難に堪え相当カネを握って故郷に錦を飾った人も何人かおったと言う、しかしそれは僅かで不幸者は本意ならずも貯金どころでなく逆に借金(「サカ」)になってあがきがとれず泥沼に足を踏入其侭ヤマ人になりすました者も多かったらしい。
明治三十二年頃 広島県の人の訛りによる笑話が流行した それはK坑の切羽に松岩(「イワ」)が多く出るその岩は鋼鉄より堅く ツルバシを打つけると火花が出て一回で先は潰れてしまう。イワは切羽の上部に出るのを(ツリイワ)と言い下部に出るのを(シキイワ)と言う。そのイワにからまる話しである、当時のヤマの採鉱係を小頭とも言うが頭領と呼ぶ人が多かった。その頭領と坑夫の対話 イワにツルを打つけて

坑夫 とうろうさんトウロウさん 切羽の向うから火が出やんすが何ぞ人間にワザは(災)しんさるめーかーの。
頭  この フーケ が(ふぬけの訛り)
坑夫 フーケ じゃ がんせん カータ で がんす
(カタ)は傾斜の高い方
(フケ)は〃〃低い方
この笑い話は新参カケダシ坑夫を揶揄して作ったのか、実演したのか 私は知らない、
イワはゲッテンとも言う 頑固人の事

~髭をはやして カネの杖ついて 小頭さんと言いや オイとぬかす。 コットン

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