炭坑記録画の数々
その他ヤマの仕事

笹部屋
昭和39~42年頃

明治より 絵はカンテラ時代 ササベヤ 坑内詰所とも言う これは書写部屋を訛ったとも言う ささやかな坑内事務所をササベヤと口伝したとも言う 昔の監督(採鉱課長)坑内頭領(採鉱係員)小頭(坑内現場)などが事務をとり憩いの室(へや)でもある。中以上のヤマには書記もおる 又役ドコの跡間や請負ヶ所の見つもり禀議も小頭がくまねばならぬ。
このササベヤで大正七年一月二十六日午前八時大災害を惹起した。麻生太吉氏圣営の山内二坑で二百箇以上のマイトが一どに爆発し 主任補の西田卯吉28以下十一名の死者と数名の負傷者を出した 当日は前夜よりの積雪10㌢位 野も山も銀世界であったが一瞬にして暗黒の愁嘆場と化した 原因凍結マイトにピスの挿込困難なため安全灯の裸火で温めていたのが爆発した。ササベヤ前が火番であったので朝の函まちや莨喫みで満員その坑夫も数名傍杖をくうたのであった。
坑内主任の麻生広氏は当朝公用で入坑が遅れ此の難をのがれていた。

とうりょうさん三片のおくに荷がきております(ちょる) いまに(もう)バレます(る)バイ

明治末期頃のA系S坑の伝票 これを朝夕配布する 人操又は人事係が

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