汽缶場
昭和39~42年頃
明治の汽缶場(カマバ、カマタキ)。ヤマとカマ、エントツ。これが昔のヤマの表道具であり、生命であった。明治中期頃までは、径五尺から六尺(約1.5~1.8㍍)、鏡板(を使用している)の低圧カマで、一本ジュウローが多かった。二本ファーネスも出たが、低圧であった。明治後期には上三緒炭坑(麻生系)に外国製のカマが五台も来た。皆ドイツガマと称していた。径八尺(約2.4㍍)、長さ6㍍の高圧ガマであった。全部コーキング(防水材)なしだったので、感心した。
嘉飯地区(飯塚市および嘉穂郡)では、住友忠隈坑と麻生上三緒坑が、蒸気がカタイ(使用が多い)と噂されていた。A系(麻生系)の様に、12時間勤務のヤマでも、カマタキ(火夫、ボイラーマン)だけは、八時間勤務であった。(ボイラーは熱いので)冬はさほどないが、夏季になると弱い男のできる仕事ではなかった。
夏でも(ボイラーの)裸作業はできない。鍛冶工と同じで、直接火にあたると疲労が激しいからである。
大正中期頃から、中小ヤマも坑内に電力が使用された。それからようやく、火夫(ボイラーマン)も、幾分楽になったようである。何分、昔のランキョガマに(火力の弱い)二号炭ばかり炊かせるから、カマタキは(重労働となり)悲鳴をあげていたのであった。
ヤマからボイラーが追放されたのは昭和からで、それまでは停電があるので、坑内ポンプなどは蒸気も放せなかった。(扇風機、人車捲揚機械は蒸気と電気兼用だった)
ボイラーの前板は、フロンド・エンド・プレート、後ろ板はペック・エンド・プレート、胴板はボイラー・セルという。
※カマ 蒸気をつくる汽缶(ボイラー)のこと。
※表道具 身分、格式、職業を示す道具。欠かすことのできないもの。
※一本ジュウロー 一本火炉。ボイラーの燃料を焚く火床が一ヶ所のもの。
※二本ファーネス 二本火炉。ボイラーの燃料を焚く火床が二ヶ所のもの。
※ランキョガマ 辣韮(らっきょ、らんきゅう)釜。初期のボイラーが「らっきょう」の形に似ていたことからきた方言。
※二号炭 優良精炭を採集した残りの、灰分の多い石炭。
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