炭坑記録画の数々
その他ヤマの仕事

鶴嘴鍛冶屋
昭和40年4月

 明治、大正のツルバシカジヤ。明治時代の採炭夫は、毎日鶴嘴を四、五本かついで入坑していた。切羽に岩やシメが出て(鶴嘴の)先がつぶれると、后山が途中で焼き直しに(坑外へ)あがることもあった。鶴嘴鍛冶屋は坑口にあり、左手で柄首を握り、九十度に回転させ、右手の金槌で巧みに尖らかしていた。素焼の代金は一丁五厘、鋼をつけると二銭五厘または三銭かかった。この価格は、明治三十、四十年と永く続いた。
大正七、八年頃、改良ツル(鶴嘴)が登場し、便利になった。穂先だけ取り替えるので、柄付きは親ヅル(鶴嘴)一丁でよく、(穂先を)抜く時は、横穴から勾配コッタを打ち込んで抜いていた。しかし、この勾配コッタは、「ボールバン」のように鉄に孔(あな)をあけるドリルを抜く仕掛けと同じであったが、新案特許になっていて、誰でも無断で(勾配コッタを)製作することはできず、不自由であった。

鞴(フイゴ)は、大阪、広島製とあったが、大阪のものは値が高く高級品であり、どちら(のフイゴ)も底はガラス。(フイゴの)ピストンは狸の皮であった(パッキングに使用)。

ツルバシの先につける鋼は、糸引鋼三分角(九㍉)。それを厚さ三㍉、十㍉角ぐらいをつける。溶接だが、初めは青色(のとき)に焼きをいれる。素焼になれば、紫色で焼きいれする。
また、採炭する(鶴嘴)は、手前を狭く向こうを広く(穂先を)尖らさないと、(採炭時に)飛び石が激しい。(穂先の)先端が丸くなれば、炭は掘れない。少しでも折れれば、なおさらのことである。



※シメ  炭層に含まれる帯状または縞状の岩層。
※后山  後山、後向き。先山の補助者。
※勾配コッタ 勾配をつけた平形のくさび。
※ボールバン ボール盤。穿孔用の工作機械。

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