炭坑記録画の数々
ヤマの訪問者

発音機(蓄音機)
昭和40年11月

 明治三十二、三年頃、ヤマを訪れる発音機。現今の蓄音機。「オーイ、もの言う機械が来ているぞ」とヤマの人たちは珍しがったものであった。「サスガ世間がずいぶん開けてきたバイ。声の貯炭ができるようになったからね」一回約五分が金二銭で、発音機を聴く人は多かった。
 それは大人の話で、子供にはちょっと手が出ない。いかに優しい母サンでも、チョットやソットねだっても、二銭など大金はくれない。五厘(1銭=10厘)が精一杯。一銭は余程悪条件のお使いをした時でないと貰えない。白米一升十銭の時代だから無理もない。
 発音器は黄色の筒、径90㍉長さ10㌢くらい。金属製。そのプッシュ管を施盤式にまわし、医師の聴診器そっくりの黒のゴム管の端が二つにわかれ、両耳にはめて聞く。初めは客よせに朝顔形ラッパをはめて発音するが、声ばかり太くして歌詞がわかりにくかった。
唄は米山甚句、シノノメ節。(二上り新内)サノサ、ホウカイ、ヤッコラサ、などと大人が語っていた。

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