炭坑記録画の数々
すべての記録画

炭券
昭和33~38年頃
ヤマの切符 炭券(すべて坑主の定紋入)
大正六年頃まで坑夫を悩ました。ヤマ以外には通用せぬので、現金入用時には莫大な目銭を出して交換していた。ヤマの近傍には之を利用して暴利を貪ぼるヤカラが多かった。
五斤、五厘、一銭、五銭、十銭、五十銭、千斤、壱円とあり、後、二銭や二十銭も出た。
当時、眼球の太い人を仁保切符と称していた。つまり目を引けばなくなるからである。忠隈・相田坑の切符は町にも通用し羽振りをきかし、中でも仁保炭坑のは特に評判が悪かった。
<<前の10件 151|152|153|154|155|156|157|158|159|160| 次の10件>>
160/585
