炭坑記録画の数々
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昔のヤマ人7(二日市温泉まで入湯患者を運ぶ)
昭和33~38年頃

昔のヤマ入

 小ヤマには医者もおらず、中ヤマ以上には坑医がおる処もあった。従って入院室のある医者は町にもなく、総ての患者は自宅療養であった。四畳半、特別ナヤで六畳一トまに呻いていた。ガスによる患者など動かせる様になると、二日市の武蔵温泉に入湯に行っていた。それも乗物がないから俄作りの戸板担架で運ぶので、その人達の苦労は大きかった。
 飯塚町から八木山峠の明神坂の急傾斜の石ころ旧路をエッサ、ヤッサと担ぎあげていた。近隣知己の人たちが数名おって順次交代すると雖も全身汗だくの重働であった。(明治の末には篠栗まで鉄道が延長されていた。)

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