炭坑記録画の数々
喧嘩、米騒動

ヤマの米騒動15 余聞(石炭ブーム)
昭和40年8月

(米騒動の暴動の)嵐が去って晴天。後は未曾有の石炭ブーム。事業主(坑主、炭坑経営者)も働く坑夫も、笑いの止まらない時節となった。日常の主婦の買出しも、豪華になった。お金使いも荒くなった。
(永い浮世に短い命、細く長く暮らすより、太く短く生きるが得)と唱えており、貯蓄などする人はごく稀であり、濡れ手に粟と、多く儲けると多く使うのがヤマ人の癖(クセ)である。よっぽど変人でない限り、お金をためる者はない。(しかし、)大正八年の後期には、あまり手放しで笑えぬようになっていた。
当時ヤマには切符はなく、政府発行の小形切符があった(単位は十、二十、五十銭。昭和の初めまであり戦時中もあった)。


(絵の説明)
①送炭ジンマー。足はダブル、割竹
②横転チップラー。ダブル式もある。(絵のような)ひっくりかえすものもある。
③スクリューコンベアー。(材質が)錬鉄、銑鉄とある。


※切符  炭券とも。炭坑経営者が発行する私製切符。炭坑の売店で日用品と交換する。
※送炭ジンマー  ジンマー式の選炭機。送炭時に篩分けする振動スクリーンで、絵の右下の平行棒のように見えるスクリーンの足は両方(ダブル)についており、一定間隔に取り付けた割竹が並んでいたようにみえたと思われる。
※横転チップラー 炭車を横転させ、石炭を落とす装置。ダブル式は、2台一緒に横転したものをさしたと思われる。
※錬鉄  不純物を取り去り、炭素の含有量を極端に少なくした鉄。さびにくく普通の温度で加工できる。
※銑鉄  鉄鉱を溶鉱炉で溶かして作ったばかりの炭素分を多く含む鉄。

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