炭坑記録画の数々
喧嘩、米騒動

ヤマの米騒動14(山内炭坑)
昭和40年7月

ヤマの米騒動 明治廿九年開坑 同四十三年廃坑(笠松峠の炭坑)より南方二キロ四十年より再建(シシバ 山内坑)
上三緒坑のマイト事件で出動した兵士の一部は同系山内坑(シシバ)旧名にも三キロ山道トビ川越しでやって来た。このヤマは開坑以来金山坑夫がおった関係か穏和な人揃いでソヨ風もササ波もたたなかった。しかし上三緒のマイトのあふりは太く翌四日には稼働賃金が奨励式手当などで倍近くにあがり米も一升(下等)廿八銭に補助された。
急転変化 他処の尽力で御利益こうむった山内坑の人々は喜んだわけ
オーイ上三緒の発破がきいーたぞ まあ一発かけると又あがるがね—

(図中の看板)
炭夫 見込出炭
一函当り金壱円
入坑手当、方賞与(譽)
一人当五十銭(一日)
日給夫 二割上げ
半期満勤 五日分
 一日休 三日分
 方賞与
坑外右と同じ
白米一升廿八銭に
    補助す
    ・・坑

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