炭坑記録画の数々
喧嘩、米騒動

ヤマの米騒動12(鎮圧に出た軍隊)
昭和40年7月

(八幡製鉄二瀬中央坑の)八月二十七日夜、ヤマの購買会(売店)に数百名がなだれこみ、あらゆる物品を略奪し、大混乱となった。(二十七日より)飯塚警察署より原田署長、佐多警部ら三十人、(二十八日から)直方駐屯軍隊佐久間中尉の一ヶ小隊が出動。騎虎の勢いに乗った坑夫も、軍隊には蝿のごとく、もどき蜘蛛の子のように八散する。
二十八日、(八幡製鉄二瀬中央坑の)一坑夫・Kは、自宅におったのを狩出され、しぶしぶボタ山の大衆に参加した。午後軍隊の実弾発射と銃剣突撃の喚声で、腰が砕け(ヌケ)て這って逃げるところを、後ろから太股に銃剣がめりこんだ。これは病院にいく途中、出血多量で絶命。峰地坑(田川)で二名、中央坑で一名、計三名の犠牲がでた。

(蛇足)大正後期、(八幡製鉄二瀬中央坑の)煙突は三本になった。中央坑発電所。(中央坑は)明治四十三年に五十年計画でシバハグリされたヤマ。




※シバハグリ  炭坑の開削工事に着手すること。

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