炭坑記録画の数々
喧嘩、米騒動

豊前 会社の喧嘩1
昭和40年3月

明治中期 豊前 会社の喧嘩 同胞あいばむ無根の血闘
明治時代 ヤマ人が二人以上集まると炉辺談義(ろばただんぎ)にあらずとも、この話題に花が咲いていた
大納屋同志の勢力争いであったらしい。数百名が三日間も乱闘が続き死傷三十九名と云う
お互に個人の恨みはあるまいが親分児分、兄弟分の因縁が命を泡の如くにしての血闘であったらしい。
男の意地を立て通すとは、ちょいと勇ましいが深考すると、判断に苦しむ。昔のヤマ人は、喧嘩は男の花と思うていたのであろう、尤も男にハクがつくからでもあった。
闘鶏のシャモの様にケリ合う、勝負はトニカク、カオヤクになれる事に専念していた。
当時(明治三十年)代でも、大酩酊(酔)うて殺傷沙汰を起しても罪は軽いと大人は言うていた。

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