炭坑記録画の数々
喧嘩、米騒動

ヤマの米騒動1(羽釜合戦)
昭和40年7月

 ヤマの米騒動、羽釜合戦、杓子かぜ。大正五年、A系(麻生系炭坑)分配所で、白米一升(一.四㌔余)金十五銭。六年には二十銭くらいになり、七年七月初めより毎日一銭、二銭と(米価が)あがり続け、(七月)末頃には、市価(市場価格)で五十六銭まで高騰。ヤマのベテラン坑夫でも一日働いて(賃金が)米二升(にしかならない)という破目に陥った。
 米騒動は、大正七年八月三日、富山県西水橋の漁夫の主婦たちが口火をきり、全国に広がった。ヤマでは、田川郡蔵内峰地炭坑が第一の烽火をあげた。(二年前の(米一升)十五銭が五十銭台に跳ね上がったが、稼動賃金は据え置き。悲鳴をあげるのは、坑夫の妻。否、全ての(勤労者の)叫びである)(当時、石炭価格も相当あがっていたらしい。坑主のみ満悦時代である)
 (絵は主婦達が踊っているのではなく、飢餓寸前の死の叫びであった)





※分配所  炭坑が経営する売店。

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