炭坑記録画の数々
運搬(坑内)

人車 安全週間
昭和40年5月

 昭和三年の七月一日より七日間、安全週間が始まった。もちろん、全国の鉱山、工場も同様である。それでなくても、ヤマの防災にはあらゆる手段をとっていたが、意外な災害は時々起こるものである。しかもあろうことか、一番安全であるべき人車で、一瞬にして八十三名の命を奪われた。
それは、昭和十一年四月十五日、住友忠隈(ただくま)炭鉱で起こった。原因は、コース元の三角鉄の中心孔(あな)が破裂したのであった。かつてないところで、人車が逆走。これは中規模以上の各ヤマに大きなショックを与えた。
日鉄稲築(いなつき)坑も、その以前から人車の安全器を研究していたが、いよいよ研究熱があがっていた。当座としてコースをはじめ、一切を頑強なものと取り替えて、万全を期した。人車はコース元の三角鉄よりドロバー、ケッチンを二個ずつ付けるダブル式であった。各ヤマも同様である。

稲築坑の人車は(一列)三人詰で一台十二名、五台連結して六十名が乗る。九百七十㍍のレールは六十ポンド、スリッパは二.四インチ(約6cm)のチャンネル(金属ガイド)がつく溝形。(人車坑道)バンガヤリ(傾斜)は二十三度。
日鉄は自家発電所がありながら、人車は(電気ではなく)蒸気捲揚機で引き上げた。(日鉄)稲築坑(の蒸気捲機)は、ピストン18インチ(約46cm)のものを使用。

 ロープが緩むと、左の図の様になる。



※コース  炭車を連結する金具。
※ドロバー ドローバー。炭車や人車の背骨である引鉄のこと。
※ケッチン 連結するチェーン。
※スリッパ 軌条敷設用の枕木。

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