炭坑記録画の数々
坑内労働(採炭)

マイト孔刳り(二態)
昭和40年1月

 明治中期のマイトの孔刳り(発破孔を穿つ)は、ノミはチクサ鋼(棒状の削岩用工具)五分(約15.2mm)八角、頁岩用は六分(約18.2mm)八角を用いる。ノミ先は頁岩用がハマグリ形、軟質の炭孔は一の字形を使う。
 S坑(麻生山内坑)には伊予(現在の愛媛県)の銅山(別子銅山)から多数の坑夫が移動しており、一部の納屋を金山(カナヤマ)と呼んでいた。
 金山坑夫はノミ先も自分で焼き直し、セットウ(ノミを打つ鎚)も巧みに使う。彼らは断層切り貫きなどが得意であった。また、行状もよく規律正しく、入墨など入れている人も少なく、互助組合(友子同盟のこと)も組織していた。
 ノミのくり粉(穿孔時のくず)を掻き出すのを、キュウレンと言う。

天井切上げ
 あげあなくり(天井への穿孔)、これは特に熟練者が行う。強く打たないと孔は進まない。一つ打ち外せば、左の指は五本ぐらいじゃ足らないほど強い衝撃がある。

~伊予の銅山 かね吹く音は きこえますます 松山にー ゴットンゴットン

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