炭坑記録画の数々
縁起、迷信、禁忌

天狗の霊水3 八丁峠
昭和40年9月

明治丗六年 天狗の霊水、 神水は必ず 竹の筒、他の器物は厳禁。

 昔し、嘉穂郡は明治廿年まで嘉麻、穂波(現今河だけ名を残しおる)の二郡であった、それから田川郡の彦山まで九里36㌔と、きめていた。彦九里の舌は嘉穂郡(カハンチク)人の常語であった。朝倉郡の秋月も九里はないでも田川方面からは30㌔以上はある。その遠距離を、男も女も老いも若きも おしなべて(我や先、人や先)救いの神の御加護に、あやからんずばやと、朝も暗いうちから出る。尻をからげて草鞋ワラジはき、霊水入れの竹の筒、弁当ヒノマル梅干入リ握リ飯、フリワケに担げ又は腰にさげ、筑前は大隈街路、豊前は上山田、を径て宮野に出る。駒の蹄鉄も割れるチュウ難所の八丁峠を踏み越え。秋月え秋月へ汗しとろ。これはヤマ人ばかりでなく 町や部落の人々も 列をつくっての参詣であった 八丁越しの北麓の茶店のお姥さんは名物水冷しトコロテンを喰うお客さんでテンデコマイ毎日嬉しい悲鳴をあげていたと言う。御賽銭も当時は五厘(半銭)金持ちでも一銭中には錆銭ショウセン一厘もあったのに、天狗様にあげるのは、最少五銭で十銭廿銭とあげていたと言う。

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