炭坑記録画の数々
ヤマの訪問者

春駒
昭和40年12月

 ヤマの訪問者、正月の春駒(はるこま)。明治時代の筑豊のヤマは、すべて旧暦で正月を行っていた。それはヤマ以外の人も新暦を実行しないからで、その他、節句、盆、神仏祭事も陰暦であった。正月は(炭坑は)三日まで休業。その間ヤマにも、縁起のよい訪問者が姿を見せていた。(絵は、戸ごとに跳躍する春駒)
~ヤー目出たいなーお正月 駒(馬)が勇めば 気も勇むー今年の正月 芽出たいなー
  咲いた桜に なぜ駒つなぐー駒が勇めばーパッと花がー散る
 両手に鈴と鳴枝を持ち、馬に跨る(またがる)のではなく馬を袴(はかま)にはく。腰を振って首と尻を動かす。馬の首はハリボテ、胴竹笊ザル(ナガジョウケ)中央に穴をあけて足を入れて、馬を担いでいる。目的は餅である。その餅を本統(本当)に馬がへこたれた程多くもらう。当時は配給米でないから、貧乏世帯でも餅だけはフンダンにあった。子供もこの馬は蹴らないから、傍らでお供した。

<<前の記録画  次の記録画>>

<<前の10件 111213141516|17|181920| 次の10件>>

17/25