炭坑記録画の数々
ヤマの訪問者

連歌師
昭和39~42年頃

 明治三十二年頃のヤマの訪問者、(恋)連歌師。(注 相方はヤマで見らず。三味線が小形であるため)(蛇足 「胡琴(コキン)」と「胡弓(コキュウ)」を間違えている人が多いという)
何ら娯楽もない殺風景なヤマにも、春から秋にかけ、夕暮れ(宵)に書生さんの装いをした芸人が訪れていた。当時流行したストライキ、ホーカイ、後には汽笛一声などを演奏していたが、中でも二人問答の謎かけが聴く者を喜ばせ、賑やかでもあった。
 中国の楽器という、鉄線四絃の月琴(ゲッキン)をピンピンチン、同二絃の竹製胡琴の柄杓(杓子)形を弓のマナオで演奏、ブーンブーンと好調。集まったヤマ人の首を傾けさせる力が充分あった。
 当時ヤマには連歌師など洒落た言葉はなく、夜の流し芸人と言っていた。(胡琴の大型は四絃で、携琴というため)

 最後には、流行歌本または社会常識読本、法律解釈書などを連歌師は売りつける。

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