炭坑記録画の数々
ヤマの訪問者

鋳掛け屋
昭和41年3月

 明治のヤマを訪ずれた芸人商人、イカケ屋(工場では鋳物師)。おもちゃの様な鞴(ふいご)と雑納箱が一荷。坩堝(るつぼ)、火炉、粉砂などの道具を(箱に)つめている。
当時(の金属製品)は銑鉄(ズク)の鋳物製ばかりだから、破損も多かった。それを修繕(ソソクルは方言)するために、鋳掛け屋が時々やって来る。羽釜、鍋、茶ビン(鉄瓶)のヒビや一部カゲ(欠け)やら(を修繕する)。ある空き地に場所をとって戸別訪問で(修繕品を)集めたり、主婦の持参もあって、数個たまると仕事にかかる。
やりかた(仕様法)は、粉砂をねり固めて裂け目に定着させ、そのすき間に溶鉄を流し込む。溶鉄は真鍮が最適だから、家庭にある真鍮の古物が犠牲になることが多かった。(すべて工具は小型)

蛇足 鋳掛け屋だけでなく全ての鉄工職人は、出来そこないや工作に失敗したことを、オシャカ(釈迦)という(ペケのこと)。ある鋳物師が、出来た品がお釈迦さまの頭の様にモノにならなかったからで、現今でも鉄工(職人たち)はこの言葉を使っている。

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