炭坑記録画の数々
ヤマの子どもたち

子どもの入坑 手助け
昭和39~42年頃

 明治中期のヤマの子供。昭和二年から健康保険ができて、私傷病者も病気以外の苦は去ったが、それ以前の私病者は(公傷ではないので炭坑から手当てがないため)みじめなものであった。
 その結果、子供に無理がいく。(後述する)歌の文句のように、おやつをねだるぐらいの幼い子供が入坑して兄や母等と働くので、周りから見ても不憫であった。病気でなくても生活難で、あるいは母とともに坑内で子守(もした)。これも入坑の際に大人がおんぶすれば安全であるが、坑道(の天井)が低くて狭いと、幼児が頭を(坑道の)天井に打ちつけるから、(子供が幼児を背負うのは)仕方がない。したがって、学校は長期欠席になる。他人に幼児を預けると、一日十銭のほかに使銭が三、五銭いるから、(家計が)大変。明治32年当時は、米一升(一.五㌔)が十銭の時代である。

~七ツ八ツからカンテラさげて 坑内さがるも おやのばち ゴットン

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