炭坑記録画の数々
坑内労働(採炭)

入坑姿 採炭夫
昭和39~42年頃

明治三、四十年の採炭夫の入坑姿。カンテラヤマ。朝午前三時、汽笛三声と入坑時間は決めてあるが、カンテラヤマの自由にまかせ、それより早く(坑内に)下がる者もおり、遅れて下がる人もあった。一つは一、二番はあっても切羽は共同でなく、個人一ヶずつ(切羽)を決めてあったからである。単丁切羽の特徴でもあった。
 先山、后山(後山、後向き)が揃ってさがるのは、新婚夫婦か兄妹か他人と組んだ一と先ぐらいで、世帯持ちの女は遅れて下がる。それは先山が、切羽を透かし掘りする間の一、二時間は、(運び出す)石炭が余りできないからである。
 人道卸(じんどうおろし)も昔の中小ヤマにはあったが、それは申し訳程度で、百㍍または二百㍍くらいで本線卸と連絡しているヤマが多く、時々函(炭車)の逆走に出合い、肝を冷やすことがあった。
 先山は肩にツルバシ、手にカンテラ、腰にはトンコツ、煙草入りブリキの角形。后山(後山)は弁当、カルイ、炭札(すみふだ)などを持つ。

 ~あなた一番 わしや二番方 あがりさがりで 逢うばかり ゴットン



※カンテラヤマ 坑内照明具の裸火のカンテラを使用していた明治時代の中小炭坑。
※単丁切羽   三間幅くらいの狭い単独切羽。
※一と先    一先。2人1組、作業の1単位。
※人道卸    人の通行する卸(炭層の傾斜に沿って下る方向)坑道。
※トンコツ   明治時代、坑夫が坑内に持ち込んだ喫煙具の一種。
※カルイ    スラ(石炭を運ぶ木箱)運搬に使用する引綱。
※炭札     炭票(たんぴょう)。坑内で積んだ炭車が誰のものか明らかにするために取り付ける札。

<<前の記録画  次の記録画>>

12|3|45678910| 次の10件>>

3/25