炭坑記録画の数々
坑内労働(採炭)

火薬を採炭に使用しない頃の坑内
昭和41年7月

明治
(天井にワレメ亀裂があるのをノウが通っておるという)
昔の坑内は火薬を採炭に使用せず 鉱車(炭函)事故も少ない。ガスケも小ヤマ(どこでもあるわけでない)にはない。出水も梅雨季にウワミズが出る位で、災害にならぬが、落盤(らくばん)ボタカブリこれは何処のヤマにも多く これにはベテラン坑夫も神経を尖らしていた。よって坑内で拍手(手叩き)する事や大声を出す事を嫌うていたのでもわかる それはカシワ手をすると天井に響く 又は二 重圧のくる音ときヽ違えるからで大声もそれと同じ 口笛吹くのも嫌うが これは大災害ヤマでは非常と云うを報知するからであった。噺上手に言わせると坑内で笛を吹奏すると山神様が祭礼とマ違えてウッカリ手を休められるから天井が落ちると面白い事を云う人もおった。 そのほか天井の固いヤマでもヌケテンと云う摺鉢形に突然落ちる事がある これは打診しても浮がわからず往々にしてカブルこのボタは三〇㌔位の小ボタでも命をとる頭部をやられるからであった。
明治後期には若者でもイレズミをする事を嫌うた。靑刺がもの言わぬ時代になりつヽあった。昔の青年数え年十八才で先山になれぬものは不具者であった。

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