炭坑記録画の数々
坑内労働(採炭)

マイト孔刳り
昭和39~42年頃

明治中期 マイト 孔クリ
1(マイトを使用する所はヤクトコ(延先掘進)の盤打か、断層切貫きか、切羽一面岩仕繰りかで其他採炭には使用せず、マイトの製造が少なかったのであろう。
2(その頃ヤマのゲザイニンは皆刺青をいれていた。イレズミのないものは一人前の仕事もできぬ者と軽蔑されていた。よって 新参カケダシ坑夫でない限り痛さを我慢してヤマ人のデッテル(レッテル)をつけていた。明治三十四、五年頃には若者でもいれぬ人がチラホラ見うけられた。イレズミ、ガマン、ホリモノ、クリカラモンモン。このイレズミは、倶利伽羅(クリカラ)紋々である。大日如来の権化である不動明王を現わし(た)ものらしい。ある古本にかいてある。

~どうしよかいなのこのイレズミは どこのいれ者がいれたやら。 
ドッコイ ドッコイ

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