炭坑記録画の数々
運搬(坑内)

低層炭(株出場)
昭和41年5月

明治中期    低層炭 株出場

昔  筑前豊前と言うていた時代の小ヤマは低層炭が多かった。(炭丈45㌢ 一㍍位まで45㌢(以下)不掘)先山も坐り掘りで頭が邪魔になりがちであり、后山も石炭搬出に苦労した。スラダナなど設備もされず、必ずカネカタにカブダシせねばならぬ そうして一函たまると炭函にガンヅメとエビジョウケで掬いこむ。それも函ナグレで配函が遅れると何函でも淄炭カブダシをせねばならぬ、尤も当日は充分の作業はできない、ナグレである。
カネカタも炭座を盤打して函を通す線路をはえる、そのカネカタに昇や卸しの切羽をつける それにカブダシ場を作る。つまりカタの部分を盤打して広めるのである。ヤマによってはカタの方は直立できるが フケの方は傾斜で低いから頭はあげられぬ。炭函との隙も少いから掬いこむのに困難する処が多かった。スラはたてにかやさにや、カブラシや、されぬ、(労力多)ホネはおれるが(方言)

スラは小型で石油(タン)筥2個を横にして中に15㌢位スカシて添板し 百㌔位つむ 当時A系坑は四、二、積であったから四回で一函不足であった。卸からは五回曳あげていた。台のソリ形鉄も余り広いのを使わず バンガヤリ傾斜の十五度以下の処は前部を狭くする 90㌢に20㍉位、軽くするため。

<<前の記録画  次の記録画>>

<<前の10件 11|12|1314151617181920| 次の10件>>

12/34