炭坑記録画の数々
運搬(坑内)

為摺=すらせ 乗廻し棹取
昭和39年12月

明治中期のヤマ スラセ 摺瀬
筑豊の炭層は西から東に傾斜が流れておるから坑口は総て西向きになっておる。土地の関係で西向きになっていないヤマは坑内でまげる。横に広い鉱区食い違いの多い処はこのスラセ何箇処も必要。スラセも本調子に切組んだのは完全だが 小ヤマでは略式(打柱をしてガイロレールを取つけたもの)は一度凾が脱線ドマグレルと壊れて大ナグレをする。大手ヤマは昭和時代鉄製のものがあった(私が作った。)これなれば凾が壊れロープ切れてもビクともしない 日鉄稲築鉱本線千㍍(巻卸)五百㍍位に九十度左にまがりのスラセがあった。坑口は北向きである。 スラセ二十枠一ヶ二㍍間隔だから四〇㍍あった ローブうけ車もボールベヤリングが使用されていた。
乗廻棹取はマキバココースもとにのると危険である、ハナバコは引つけるから。但し サシバコの時はあいだのりが危い さし凾あいのり怪我のもと。
~ わしのサマちやん 凾のりまわし まいてさいて オーライ(とめる)するりや 
手まが損んー ゴットンドッコイ

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