炭坑記録画の数々
運搬(坑内)

蒸気捲機と電気捲機
昭和42年2月

 明治、大正の蒸気捲機と電気捲機。明治末期の三菱鯰田(なまずだ)炭坑(福岡県嘉穂郡笠松村、明治四十二年より飯塚町、昭和七年に市になる)系には、電力の捲揚機が登場。
 中小ヤマが電力捲になったのは大正後期であり、それでもスチーム(蒸気)捲機が多かった。昭和になって、停電を恐れないかのように、ガラガラと音律の高い電力捲にほとんどなった。
 それでヤマのレッテルとなった(蒸気の)煙突は影を潜めたが、大ヤマには自家発電機があったので、(発電機用の)大型の煙突は、青い空高くそびえていた。
 クランクピンの油差(リゥブリーケーター)は、遠心作用のもの(セントリフューガル リゥブリーケーター)があった。

 スチームマキ(蒸気捲)のエンジンは、高圧低圧のコンパウンド式(複合式)ではなく、シリンダーはダブルである。ゴーヘイ(捲揚げ)、ゴースタン(後退)はリングモーション(鉄の輪を回して動かす)で操作し、スライドバルブを自動的に開閉する。ドラムが中央にあるのは、炭坑にはなかった。

 デンキマキ(電気捲)、大ヤマの主要な捲揚機には自動式スイッチがあり、始動させるとカチャンと数回音をたてて基本回転になる。停止も音一つで止まる。完全抵抗調節器も整備してあった。

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