炭坑記録画の数々
坑内労働(採炭)

単丁切羽
昭和41年6月

木喰虫の様に掘進する単丁切羽(イッチョウキリハ) ソレも古いヤマは残り炭柱を払うがそれでも共同作業でなく二人ヒトサキであった。タマサカ四人で組む処もあったがそれは稀、先山は炭丈イシタケの高低に拘らわず手拭いで鉢巻、又は頭巾かぶり 坑内では頬かぶりを嫌う 耳を蔽う事罷りならぬ。后山の頭かぶりも二た通りあった 全髪を蔽い包むのと頭の上部髷部だけ包むのとあった。つまり炭塵を被るヶ処と採炭先でない者、或いは老若によってもかぶり格好が異うていた。
ツルハシ鶴嘴は鉄で尖り先に鋼を少しツケル壱、五㌔位でそれ以上は豪傑でもムリである 柄木は91㌢三尺ある。この外両頭と云うがありツルバシに頭のあるもの二㌔位ある これでカナヤ尖小形を打こむ又は頭で粉砕する。
昔のヤマにはタオルと云う詞はなかった 皆和手拭いの布、一筋三銭特等品で五銭何れも絵模様入り 豆絞りは作業には使用せず 明治三十年代(炭柱払をリュウズ弓と言う)
たてば借銭ん坐れば家賃ん歩む姿がーひちや行きーゴットン

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