炭坑記録画の数々
坑内労働(採炭)

採炭法(小ヤマ)
昭和40年3月

 明治後期の採炭法(小ヤマ)。単丁切羽で小型の炭柱(たんちゅう)を碁盤(ごばん)のように残して、その炭柱を上部から順次払うのと、カネカタから昇って炭柱を払う式があった。明治の後期には、図のような切羽もあった。
 しかし払いであるが、(このような場合でも)個人二人一先ずつの切羽であり、現今のような(複数人で行う)共同作業ではなかった。炭柱はヤマによって地柱(リュウズ、竜頭)と称していた。
 1は明治四十三年頃、鞍手郡木屋瀬、金剛炭坑の切羽。バンガヤリ(傾斜)10度くらい、炭丈75㌢。二人で二㌧半~三㌧ほど採掘した。カイロが遠くなると、石が軟らかくなる。
 2は同年頃以前の嘉穂郡笠松村(明治42年より飯塚町)上三緒坑の切羽。傾斜は17度くらい。三尺層のカヤリモノは三〇㌢の白ボタ。二人で二、三㌧ほど採掘(ツルバシで中段を透かして掘る、ダイナマイトは無い)。
 3は単丁切羽炭柱式。明治時代の中小ヤマで、前述のとおり。

 断層は食い違い、ガックリ、ドマグレなどと言うが、大体炭層の傾斜に対し、斜めに入る。下部になるにつれて食い違いが厚くなり、放射線形になっている。
 ガックリが出る前には、傾斜(バンガヤリ)が不揃いになったり湧水が多くなったりし、天井も悪くなって、突然抜け落ちてくる。

 ヤマのガン(癌)である断層は、小型(の断層)が何段も出るところがあり、大型になると、昔は金山坑夫(熟練坑夫)を募集して、大仕掛けで切り貫くことがあった。石刀(セットウ)を使うマイト孔刳り(あなくり)作業で、金山坑夫は妙技を振るう。


※単丁切羽 三間幅くらいの狭い単独切羽。
※払う   炭柱を残さず採掘し、広い作業面をつくること。
※カネカタ 曲片。捲卸から片盤の方向に、一定の間隔をおいて掘進する主要坑道。
※一先   二人一組。作業の一単位。
※カイロ  街路、街道。石炭を人力で運ぶ運搬坑道。
※カヤリモノ 反り物。天井の岩層に一見丈夫そうに見えて落とそうとしても落ちず、不意に落下する厄介なもの。
※セットウ  岩を刳り抜く鑿(のみ)を打つ専用の槌。

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