山本作兵衛氏と炭坑記録画
ヤマとキツネ

当時、ヤマにはとりついたキツネを落す祈祷師(きとうし)がたくさんいました

▲キツネが一番怖いのは、鉄砲を持った猟師でした

 炭坑には動物に対する俗信はいろいろありますが、特にキツネに関することはたくさんあります。その中からおもしろいものを紹介します。

 キツネは明治の中期ごろまで野にも山にも里にも、たくさん住んでいたそうです。明治33年の秋ごろ、K坑に罠によるキツネ捕りの名人が現われました。どういう構造をした罠なのか知っている人はいませんでしたが、とにかくおびただしい数のキツネを捕獲したそうです。

 この名人が罠にかかって苦しんでいるキツネに対して言う口ぐせが「おお、タヌキを捕ろうとして仕掛けていたのにお前がかかったか、それは気の毒なことをした、残念なことをした」であったということです。

 当時、キツネのボスとして、烏尾峠の吉助、飛川の藤助、伊川の三造、弁分のおさんなどが有名でした。坑内外で人を化かしたり、いたずらをしたり、ついたりしたといいます。そのついたキツネを落とす素人祈祷師が炭坑には多くいました。通常、年配の女性が祈祷師になっていたようです。

 当時の小ヤマには医者がいなかったので、体に変調があるとこの祈祷師を訪ねていたのです。神経痛や関節炎などはキツネがついたために起こっていると思われていました。

▲ついたキツネは。祈祷師に落としてもらっていました

 キツネの落し方の一例としては、まず、祈祷師と患者がむかいあって正座をし、患者には御幣(ごへい)を両手に挟ませて合掌させます。

 祈祷師が祝詞をあげていると神仏が祈祷師の体に降臨。祈祷師は呪文を唱えながらキツネに「早く退散せよ、退散しないと不動明王の金縛りにあわせるぞ」などと激しい口調で迫るのです。

 患者は起立して玄関の方へむかい、御幣を頭上に差し上げてから庭に投げ捨てて腹ばいに倒れる。これでついていたキツネが落ちたということになったそうです。

 キツネの言うことには、この世で一番怖いものは、片目で肘が曲がっている人だそうです。それは猟師のことでした。鉄砲のことをアタリポンと呼んでいたということです。

 明治の末ごろになって世の中が電化されていったことや、山林が切り払われて住む場所がなくなり、キツネの数も激減し、キツネに関する話も少なくなっていきました。