山本作兵衛氏と炭坑記録画
ヤマの悪党

腕力をいいことに使わず、弱いものいじめに利用したワゾウ

▲片手で60キロもある酒樽も軽々上げる腕力のあるワゾウ

 明治20年代のこと、ヤマの人々が集まると必ずといっていいほどワゾウという無頼漢の話が噂になっていました。

 酒の入った酒樽(重さ約60キロ)と空の樽を左右の手に1個ずつ持って上下に動かし、どちらが酒入りの樽か当ててみよと言っていたほどの腕力のある男でした。

 その力を良いことに使えば社会に貢献できたのに、その力で弱いものいじめをしたというから迷惑千万でした。

 ワゾウと道で出会ってアクビでもすると、サァー大変。「キサマはおれを食うのか、よーし食うてくれ、頭からでも尻からでも好きなところから食え」と因縁をつけ、謝っても許すことなく酒一升と肴(さかな)をせしめていました。

 愛想笑いをしただけでも「おれの顔を見て笑いやがったな。このガキ、おれの顔が醜くておかしいのは生まれつきだ。もう一度笑ってみやがれ」という具合でつかまえて放そうとしない。最後には前記のように酒肴(さけさかな)で解放してもらうという。

▲ワゾウは死んでも夢枕にあらわれて脅迫し続けたと言われています

 ある時は、魚の行商人が魚ザルを担いで威勢よく「さかな、さかな」と売り歩いていると、ワゾウが呼びとめて、魚はなにがあるかと尋ねるので、鯖の生きの良いものがあると返事をしたところ、値段をきくので五銭と答えると、「よし、買った」と五銭やって一荷全部持っていくという無法を平気でやってのけました。行商人が一尾だけと言い訳しても、殴って持って行ったということです。

 ワゾウは博打場(ばくちば)に行って場銭をまきあげるのも日常茶飯事で、無茶苦茶でした。お金や物品が欲しいと思ったら、日本刀を持出してヤマの売勘場に出かけ、自分の必要な品物を物色し、人を脅かして自宅に運ぶのでした。

 このようなワゾウも、自分が殴った青年の復讐によって、夏の夜、蚊帳の中で熟睡している時に切り殺されたのですが、この時「キサマを取り殺す」と叫んで息絶えたそうです。

 福岡の未決監に収容されていた青年の夢枕に毎晩あらわれて脅し続け、青年は死んだワゾウによって、飲食もできないほど体力を消耗して一週間ばかりで狂い死にしたということです。生きている時ばかりでなく、死んでも脅迫し続けたということで、ワゾウのことは語り草になったのでしょう。

ヤマの生活の一枚:ボタコズミ
 天磐を支えるために、坑木を用いないでボタを使ったもので、大きなボタを周囲に積み重ねて中に小さいボタを詰め込み、天磐まで築き上げていきました。
 大きなボタの少ない所では大型の竹の輪をつくって、その中に小さいボタを詰めることもありました。